実家暮らしの手帖

食う寝る遊ぶに住むところの機微を綴るブログ

粗忽の配電盤、もしくは黒ひげ危機一髪

私の母は小三治の落語が好きで、毎晩枕元で小三治全集のCDを流しながら眠るという独特の睡眠導入法を嗜む人だが、私の目には母の日常それ自体かなり落語的に見えるので、母は小三治の噺を通して無意識のうちに客観化された自分を笑い、そんな自分を可愛くも好もしくも感じているのだと善意に理解している。

私の母は決して客観的思考の持ち主ではないが、感情の発露が単純で後腐れがなく、正直で率直な性質は、今までのところ彼女の人生をおおむね幸福なものと認識させる自己肯定の基盤を成してきたと思われる。

同じ屋根の下に落語的人物のいる日常というのは、笑いに事欠かずある意味平和で良きことであるとも言えようが、ごく一般的に考えて、そう滅多に起こる可能性のないことをわりと頻繁に引き起こすという、日々サプライズと共にある母の人生に他の家族も否応なく巻き込まれる宿命にあることを意味する。

本日午後、朝のうちにひと仕事を終え、ようやく一息ついて自室で休んでいたところ、お昼ごはんを食べていたはずの父が遠慮がちにドアをノックしながら言うには、母が配電盤の角に頭をぶつけて流血したので様子を見て欲しいとのこと。

先ずもって単語の意味と話の全容がうまく繋がらない。配電盤?

「昼食時に配電盤の角で頭から流血」の答えが咄嗟に見えてこない。

ともかく母がなんらかの怪我を負ったということは理解したので、半ばまどろんだ意識のまま階下へと急ぐ。かくして母は血の滲んだティッシュでおでこを押さえながらお昼ごはんのお皿が乗ったままのテーブルに座っていた。

詳細は割愛するが、確かに母は食事を中座して庭に出る途中、家の外壁と塀の狭い隙間にある配電盤の凸にしこたま頭をぶつけて血を吹き、こうして整理してもにわかに想像し難い100%自業自得の状況下で負傷したのであった。

まさに落語の「粗忽の釘」ならぬ「粗忽の配電盤」である。はっきり言って面白い。面白いけど実際に怪我をして頭から血を流すなんてのは言語道断、笑うに笑えない。

とりあえず患部を確認し、止血と消毒を済ませてから病院で診てもらう。

幸い傷は浅く大事には至らずに済んだが、かように落語的人物を家族に持つという現実は、笑いと不安を同時に感受する精神的揺さぶりの中でドタバタの騒動に淡々と対処する日々を覚悟して生きるという、まさに毎日が「黒ひげ危機一髪」なのである。 

この際母にはしっかりと養生して深く反省して頂きたく存じ候。

月曜は阿修羅の如く

パーソナルエリアの広いマイペースな生活に慣れすぎて、たまに人口密度の濃い賑やかな街に来ると、滅多に作動しない神経が刺激されて、通り行くすべての道筋から絶え間なく五感に飛び込んでくる情報量の多さにそわそわワクワクから始まってぐったりで終わる、という一連の流れをつつがなく経て昨夜帰還しました。

楽しいひと時を証拠付ける満面の笑みの眼差しに生命体としての覇気が無いのはひたすら体力不足の為せるわざです。

今日はひとっこひとり通らない窓の外でも眺めながらのんびりひとり仕事して過ごしたいと思います。

月曜を阿修羅の如く闘うにはまだまだ軟弱なぐりでした。

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左: 宿泊先のホテルのシャンデリアが帰り際、阿修羅像に見えたのは新たな次元への開眼であった。 右:朝酒は門田を売っても飲めと誘うバルの店先

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別行動していた両親を待つ帰りのターミナルにて。