スピッツの3年ぶり通算16枚目のオリジナルアルバム『見っけ』が今朝届いた。
日一日と秋も深まり、収穫の季節がなぜかしっくりくるバンド。スピッツの音楽は炊きたての白いごはんに似ている、と思う。
どんなお腹にもよく馴染み、消化に優しく腹持ちもいい。長きに渡り疑う余地のない不動の主食でありながら、その存在感は合わせるおかずに常に寄り添って実にさり気ない。主張は決して派手じゃない、けれど決して弱くはない。
和洋中、変幻自在にどんな風にも調理され、手を替え品を替え多くの人々に愛され食べ継がれ、いつの間に独自の世界を切り拓いていく。がっつりつゆだくの牛丼から米粉のパンにだってなれちゃう。
流行りのグルメはいつの時代も目まぐるしく街中に溢れてる。もっと華やかで、もっとお洒落な食べ物なら他にいくらでもあるだろう。ひょっとするとまだ誰も食べたことのない素敵な食べ物が、世界中を旅する飽くなき好奇心の探訪者らの手によってまだまだたくさん見つかるかもしれない。
それでも、遠く異国を旅した後で最初に深呼吸したくなるのはきっと、炊飯器からたちのぼる炊き立てのごはんの匂いだったりする。少なくとも私にとってスピッツはずっとそういう存在だった。
コアなファンというにはあまりにおこがましい。ライブも2度しか行ったことがないし、ファンクラブにすら入っていない。でも、過去リリースされたアルバムの全収録曲は丸ごと覚えて全部歌えちゃうくらい繰り返し長く愛聴している。
ジャズもクラシックも聴く。R &Bもカントリーも、ロックもボサノヴァも気分次第でなんだって聴く。
でも本当に肩の力を抜き、親密な心と耳だけで音楽と言葉の海に潜り込みたい時、スピッツの曲はあくまでもさりげなく、どこまでも深く私の孤独に寄り添って漂う。
待ちきれない腹ペコの気分でさっそく届いたばかりのアルバムを聴きながら、白いごはんとスピッツの、底知れぬ生命力を感じてやまない共通点を思いがけず『見っけ』たのであった。