実家暮らしの手帖

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好奇心は羽ばたかない

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生まれつきの持病があり病院とは切っても切れない間柄にある。

 

私の身体はどうやら10年スパンで大掛かりなメンテナンスが必要らしく、ポピュラーな風邪など普段はあまりこじらせない代わりに、いったん不調の周期に襲われるとマーヴェリック級のどデカい波に有無を言わさず攫われる。

10代から30代にかけて定期的にイカれたパーツを修理しながらマイウェイなサーキットを細々と走ってきた。しかしいくら私だけの独壇場とはいえ人生のレースがいかなる局面にあろうと、一度警告ランプがつき故障を知らせるアラームが鳴れば何を置いてもピットに戻らねばならない。どれほど取るに足らないレースではあっても、目の前にご馳走が並んだテーブルを前にして夢落ちするがっかり感は否めない。

闘病というほど深刻なものではないが、手術台に登った数は全国平均を軽く上回るだろう。社会に活かせる経験値としてカウントできないのが残念だけど、毎日のルーティンでついマンネリになりがちな入院生活、せめてありたけの好奇心を遠くへ羽ばたかせて何か新しい発見に挑戦したいと思い立ったが10年前。

 

その年は不調の波の当たり年で、夏から年末にかけて計3回の入院と手術を繰り返した。

3度目の手術日は街の喧騒も華やかなクリスマスの時節。窓の外はすでに一面の雪景色、夜になると澄んだ空気に色とりどりのイルミネーションが燦然と光を放ち、街中にシャンシャンシャンシャンと、トナカイのひく橇の鈴の音が休みなく響く、そんな素晴らしく楽しげで焦燥を煽る小憎らしい季節であった。

 

入院初日に看護師さんが渡してくれた治療の日程表を見るまでもなく、此度はどう転んでも年内に退院できる見込みはなかった。ケーキもおせちもパーティも初詣もスルーして、年末年始も一人病室で過ごさねばならない。こんなとき隣の芝はひときわ青い。年が明けるまで決して出ることのない窓の外に広がる世界は恋人がサンタクロースな夢に溢れる戦場のメリークリスマス、私がオバさんになっても地獄で会おうぜベイビーと意味不明の言葉で自分を慰撫する。

 

肉体は物理法則に支配されるが自由な魂は希望を捨てさえしなければどこへでも羽ばたくことができると、いつかどこかで読んだような気がする。

なるほど、ならば私も羽ばたかせよう自由な魂とやらを。鳴かせてみようホトトギス、枯れ木に花を咲かせましょう。いざ新たなフェーズへ。

私は入院から退院までの日々を、それまでの経験における全ての記憶と先入観をチャラにして、何も知らない子どもの眼差しで未知から体験し直そうと考えた。

そしてチェーホフの銃のごとく、治療の各場面でいったん脳裏に浮かんだ新奇な衝動はできるだけ検証してみようと決意した。

 

そして訪れた決戦は執刀日。

私は自分がいかに迂闊な人間かを手術室に入る直前のストレッチャーの上で思い知った。

これまでに幾度となく、心地よいBGMの流れる手術室の冷んやりしたまな板の上で全身麻酔の静脈注射を黙って打たれながら、あまりにも素直に、あまりにも無抵抗に意識を攫われるだけ攫われて、あまつさえ自ら先んじて瞳を閉じていたなんて、稀有な機会に恵まれながらなんと無駄にぼーっと生きてきたのだろう。今回はみすみす時機を逃したくない。意識と無意識の境がどうしても知りたい。麻酔のクスリが脳を強制遮断するその瞬間まで目を開け続け、ここぞというタイミングを逃さず自らの意思で落ち着いて目を閉じ、しばし意識と別れを告げたい。

これが私が入室から手術台に移動するまでの約2分弱の間に考えたビジョンとアクションである。

まもなく私の不自由な肉体は有能なスタッフの一陣に四方を囲まれ、硬質な機器類に八方を塞がれた。一方自由な魂は、未知なる挑戦への知的好奇心に導かれ今まさに大きく羽ばたこうとしていた。この時の私は冷え冷えとした密室で血の気と体温を一気に失い、実行可能性の可否を確かめる余裕も判断力も全く残っていなかった。

 

そして私は知ったのだ。

麻酔を打たれる舞台の傍には、平井堅が必要だと。

瞳を閉じて…

いればよかった。

無理に抵抗するとドライアイになるからやめときな。

これが私の、これから全身麻酔を受ける予定のある全てのビギナー患者さんにお伝えできる唯一のアドバイスである。よろしければご参照されたし。

 

意識が戻ったのは全ての肉体的オペレーションを終え、再びストレッチャーで手術室から運ばれる最中だった。記憶の前後を繋ぐのに数秒かかり、自ら課したミッションを思い出すのにもう数秒、リニューアルした自分の身体をモニターするのにさらに数分を要した時、ふと気づいた。

なんだか顔がかゆい。瞬きをするとまぶたが重い。目の周りが妙にねとねとしている気がする。最初に感じた素朴な異変を、私はストレッチャーを押してくれているすぐそばの看護師さんにそのまま尋ねた。看護師さんは少し伏し目がちになり訥々と答えた。

「目を開けて…いらしたので…眼球が乾かないように、ワセリンを多めに塗らせていただきました」

 

あ。

私は絶句し、すぐさま手術時の光景に想像を巡らせた。

つまり私の果敢な知的好奇心は羽ばたかなかったのだ。私は麻酔成分プロポフォールとの速攻戦に負け、わずかな攻撃の隙も与えられずなくあっけなく意識を奪われたのだ。

開かれた瞳孔を有識の世界へ置き去りにして。

スタッフの皆さまにとってはさぞかしホラーでコメディな時間であったことだろう。白目を剥いた妙齢の女が作業中ずっとまな板の鯉のごとく目の前に転がっていたなんて。私ならとてもまともにメスを入れられない。お見苦しい姿を晒し大変申し訳なく、穴があったら入りたい。もし自由な魂が肉体を飛び出してどこにでも浮遊できるのなら、降伏の白旗を掲げ自らの顔を覆いたい。

 

こんな、簡単には掻き捨てられない恥の記憶を時折思い出しては家族と一緒に大笑いする日々を連ねることおよそ10年。

今のところ体調の異常を知らす可愛げのない借金取りのような警告ランプは特に変わった様子も見せず沈黙している。できれば40代のコーナーをこのまま穏やかに周回したい。

あまりに穏やかな日々に安住し過ぎると、ひょっとして私の好奇心はもうそれほど高く羽ばたかなくなるかもしれないが、今こうして手探りの言葉で手作りの手帖を埋めていく作業をしていると、世界のどこかに繋がるかもしれない、想像の大地を這う幻の生物を探し当てる旅に出たような不思議にリアルな好奇心をたまらなくくすぐられるのである。