実家暮らしの手帖

食う寝る遊ぶに住むところの機微を綴るブログ

楽譜が読めない女、暗譜ができない女

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同じ屋根の下に楽譜が読めない女と暗譜のできない女が住んでいる。

 

ピアノを習い始めて2年ほど経つ。と言っても全くの初心者というわけではなく、幼少時代、小学校に上がるまでのわずかな期間母に連れられて自宅から車で40分かかる先生の自宅まで毎週レッスンに通っていた。家庭の事情で2年足らずで辞めてしまったが、その時は先生のレッスンはともかく、母に見てもらう自宅での練習は毎日エンタメ要素のひとかけらもないトムとジェリーの追いかけっこだったので、幼い私はピアノそのものというより無駄な緊張から解放される幸運を天に感謝した。その後の私は母からの逃走劇でならしたエネルギーを深窓のピアノ少女なぞという素敵なキャラ作りに一切振り向けることなく、野に放たれた仔羊のごとく埃まみれに彷徨し、あっという間に40年が過ぎた。

 

時は巡り、若さゆえのとんがった角も取れ実家暮らしが長くなるにつれ、気づいたら母と同じ音楽の趣味が増えていた。ピアノは長年一番身近にあって気にはなるものの、すでに母と妹の守備範囲となっていたこともあり敬して遠ざけるような思いもあったが、何はともあれ始めてみたらこれが予想以上に楽しかった。習い始めの子どもみたいに下手でもなんでも毎日ピアノに触れるのが面白くてたまらなかった。フィーリングの合う相性の良い先生に恵まれたのも幸いした。こうして私は不惑を過ぎて新しいワクワクを得た。

 

新しい経験は新しい発見をもたらす。ピアノを弾くようになって初めて気づいたことがある。

私は楽譜を読むのがたいそう苦手だが、長い時間をかけようやっとオタマジャクシの暗号を読み解くと四苦八苦して鍵盤を辿り、何度か繰り返してそれを丸暗記すると後は指が勝手に動いてしまう。初心者用の短い曲ばかりとはいえ、なぜどうして曲がりなりにも正しい音を瞬時に動くことができるのか本人にもよくわからない。指が記憶するとしか言いようがない。

反対に母は初見でするすると和音の入り組んだ複雑な曲も弾くことができるが暗譜がさっぱり出来ない。

音楽という共通の趣味を持ち一台のピアノを共有しながら、お互い相手のメカニズムが全く理解できない。なぜ楽譜も読まずに途切れず鍵盤を弾けるのか、なぜ長年弾き慣れた曲ですらいつまでも覚えられないのか。譜面に刻まれた視覚情報から打鍵運動に出力するそれぞれのやり方について真面目に考えたことはないが、ピアノを弾く行為ひとつ取っても人それぞれいろんなパターンがあるのだなあと個体差の妙理を思ったりする。

そうか、この家には楽譜が読めない女と暗譜のできない女が一緒に住んでいるんだ。これは実に新たな発見である。

そうと悟れば、母が時おり私にはとうてい信じられない行動に出ることもさほど驚かない。

洗濯物のタオルがかなりの確率で裏表に干されていても、障害物も何もない道端でいきなり転がって怪我をしても、なんの前触れもなく熱いコーヒーを卓上でぶちまけて父のYシャツをシミだらけにしても、何度注意しても車の鍵を定位置に戻すのを忘れ、外出のたびに慌てて鍵の捜索に時間を費やすことも、ああこの人は暗譜の出来ない女だから何か私とは違う出力システムで生きているんだなと素直に受け入れる事ができる。

そうして詳しい仕組みは理解できなくても、母の特性に対する扱いにはそれなりに慣れる。慣れればそれなりに愛着も生まれる。愛着を持って振り返ってみると、昔はぶつかってばかりいた互いの違いにいつのまにか折り合いが付いている。

これもまた新たな発見である。

人に限らず、例えば私たちが普段当たり前に使っている便利な道具や新しい技術や、住み慣れた土地に受け継がれてきた古い文化や習慣に対する折り合いのつけ方も、おおむねこのような日々の営みの中でごく自然に、わりといい加減にいつのまにか身に付いていくものなのかしらん、なんてことを楽譜の読めないシステムを巡らせてぼんやりと考えている。

 

ちなみに同じく幼少時代に、母の趣味で始めたバレエ教室は1ヶ月も保たずにドロップアウトした。私がレッスン用のピンクのレオタードと白タイツにどうしても慣れることができなかったためである。おそらく私の中に羞恥心と自尊心が同時に芽生えた初めての経験だったのだろう。小さな女の子なら誰でも可愛いレオタードとタイツが似合うわけではないのだ。さすがに母もそのあたりの客観的判断力は冷静だったらしく、そんなに嫌なら...とあっさり希望を捨てたことは評価に値する。

10年後、私とはタイプの違う妹が生まれたことで母の想いはある程度満たされたが、私がバレエを再開する機会は多分もう来ないだろうな。