実家暮らしの手帖

食う寝る遊ぶに住むところの機微を綴るブログ

「かもしれない思考」のススメ

 

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こんにちは、ぐりです。

タイトルに「ススメ」とありますが、諭吉先生の啓発的「ススメ」のような立派なススメではなく、正確には『「かもしれない思考」の(まま)ススメ!』という、自身を鼓舞する応援歌のつもりで書きました。強いて言えば「およげたいやきくん」の勇気と無謀に近しい心情です。

この一文から人生の重要なヒントが何か透けて見えてくるかもしれないし、そんなのあるわけないじゃん、かもしれません。

 

20年ほど前、大学を卒業したばかりの私はそろそろ自分専用の実印を作ろうと、近所のお宅に出入りしていた「占いのできる印鑑屋」さんに開運判子の作成をお願いしたところ、その日が初対面だった印鑑屋さんが私の知らない私の全てを鑑定しながら「あれ、おかしいな。いや…うん。でもおかしいな」と何度も首を傾げていうには「いやあなたのね、旦那さんの相がいくら探しても見えないんですよ」 

…はあ、それはつまり…そういうことですか。

そんなこと急に言われても、若かった私の受ける実感はあまりにも薄く、さほどの感傷も何もなかったのだが、彼は神妙な顔つきで「大丈夫です。私の所できちんとした印鑑をお作りになればお相手は必ず見つかります。あなたはまだお若いし、私もしっかり念を入れてね、そういうふうにちゃんとお作りしますから。」

実印というものに、役所や銀行で使う実務以上の深い目的と重い任務が込められていることを私はこの時初めて知ったのだが、当時の私もさすがに彼の言うことを全て鵜呑みに信じたわけではなかった。それでも「結婚の相が影も形もない」なんて言われれば、ハンコひとつで万が一のリスクを回避できるならばと、立派な象牙の印鑑を奮発するのもそう不自然な話ではないでしょう。

とにかく、今わたしが使っている実印はこの時彼に作っってもらったもので、にもかかわらずこれまでのところ、彼が覗いた私の人生はハンコの威力を凌駕して天の定め通りに突き進んでいる。

時々、ひょっとすると彼は鑑定士としてはほんとに有能だったのかもしれないと思う。でも、他人の運命を変えるほどの力を印鑑に込められるくらい優れた技量を持った彫刻師ではなかったかもしれないとも思う。

いやいやそんなの決まっちゃいないさ、運命の出会いはまだこの先にあるのかもしれないし、彼だって今ならもっとすごい匠の技術を身につけているかもしれないし。

ーそうかもしれないし、そうでないかもしれない。

そうは言っても今のままの人生が、そもそも一番良かったのかもしれないし、もっと良い選択がいくらでもあったのかもしれないー

こんなふうにいつも何かを考え始めると、私の頭の中はすぐに「かもしれない」でいっぱいになる。

唯一絶対の答えを探さない人生。我ながら困ったものだと呆れながらも、それでもいいやと案外開き直れるのは、ちょっとは強くなれた証かもしれない。(単に齢を取ったせいかもしれない)

いつまでも「かもしれない」の曖昧さでは頼りないかもしれないけれど、それでも。

グレーゾーンの霧の中を深呼吸でススメ! 重いアンコを抱えて泳げ!

 
今日は一日寒かった。明日は晴れかもしれないな。