実家暮らしの手帖

食う寝る遊ぶに住むところの機微を綴るブログ

腹が決まるとき

 

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「今日は食べすぎちゃったな。よし、明日から本気でダイエットだ!」とか
「うわ。朝からめっちゃ気持ち悪い。もう二度と酒なんかのまないぞ」とか、

「んもう。こんなダメ男、今度こそ絶対に別れてやるっ」とか

思ってる人も思わない人もこんにちは。意志薄弱にして優柔不断の隊長ぐりです。

 

経験上、本当に何か「腹が決まる」ときには、普段何気なく口から垂れ流しにしている軽薄な決意表明なんかとはまるで違った音が、実際に腹の底からグオゴゴゴ・・・みたいな感じで全身に鳴り響くような、そんな感覚がある。

どこにも甘さのかけらもない本気の意志が「決まった」時、すでに目標は達せられたのと同義である。

本気のダイエットと自己弁護のダイエットではそもそも腹の決まり方が違うので、 おそらく後者はサプライズで登場したカラフルなデザートに「甘いものは別腹よね」なんつっていとも簡単に前言を翻すことができる。

本気で腹の決まった腹は、そんなチャラチャラした甘い誘惑になぞビクともせずに、その確固たる意志は重い巨石のようにさっきと全く同じ場所に鎮座しているはずだ。

何があっても揺るぎない決断をするにはどうすればいいのか。

経験上それは「時機を待つよりない」のではないかと思っている。これはあくまで個人的な感想である。意識的に「いついかなる時も一度決めたことは必ず実行する」天才的セルフコントローラーなら話は別かもしれないが、私のような、ただでさえセブンイレブンただの気分で日替わりのメニューを過ごしたい人間にとって、意志の強さだけで何かをゴリ押そうとしてもストレスが溜まる一方で結局長続きしない。

ほんとは大して好きでもないのになんだか自分が悪い気がして一所懸命好きになろうとしばらく好きなふりをしてみても、所詮は自分を騙しきれずに相手を傷つけたり周りに迷惑をかけたり色々とよろしくない結果に終わったいくつもの思い出があったりなかったり。

そうかと思えば昨日までグズグズしていた迷いのループが突然びしっと不動の意志で固まる自分も知っている。

柔道の一本技のように華麗な決断が腹の底で座った時は、もうこれは「天から意志が降りてきた」と思わざるを得ないような、目の前に一筋の光がさあっと拓けるような、そんな清々しい開放感と自己信頼の誇りに全身が満たされる。

最近ある人に「なんか、悩みなさそうだよね」と興ざめなことを言われたので「嫌なことがあっても落ちこむほど悩まないと決めていますから」と答えた。確かにそうなんだ。

私のたいていの嫌なことは最近この人由来のことばかりなので、内心「この人ごときに悩まされてなるものか」という、自分でも忘れかけていた負けん気の強い本性をかきたててくれたこの人にむしろ感謝する思いで、慈愛に満ちた笑顔でそう答えたつもりなんだけど、相手が私の態度をどう感じたかはそんなことどうでも知るもんか。